日本で最初の富岡製糸

2022/10/20
ケンミンショー的な出だしですが・・
「日本で最初の富岡製糸」は、群馬でおなじみの“上毛かるた”の「に」で紹介されている読み札にある文言です。
今回10月2日に富岡製糸場で行われた開業150周年 記念イベントに行ってきました。私は群馬県民になってかなり経っていますが、富岡製糸場に入ったのは初めて(!)でした。
〇 富岡製糸場とは
富岡製糸場は、1872(明治5)年に明治政府が器械製糸場として開業し、その後民間に払い下げされ、1987(昭和62)年までの115年にわたって生糸生産が行われてきました。
2014(平成26)年に、「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、生産量が限られていた生糸の大量生産を実現した「技術革新」と、世界と日本との間の「技術交流」を主題とした近代の絹産業に関する遺産として、世界遺産に登録されました。
当時のフランスの技術を取り入れて建設された敷地内の建物造物群は、木の骨組みにレンガを組み合わせた木骨レンガ造りの遺構で、良好に保存されており、ツアーガイドさんの解説で詳しくその歴史を知ることができます。
〇 日本初のサクセスストーリーは女性がカギ
今回、私は「富岡製糸場の女性労働環境について」というテーマのシンポジウムも傍聴しました。テーマは堅いですが、とても興味深い内容でしたので、さわりだけでも報告しますね。
富岡製糸場から、本格的に始まった生糸輸出による日本の躍進ですが、それを支えたのは女性の労働力でした。生糸の生産は、糸を作る蚕を育て、そのエサとなる桑を栽培し、糸を紡ぐ・・と多くの労働で成り立っていますが、その担い手の多くが女性でした。
開業当初、製糸場の「伝習工女」募集はなかなか集まらず、初代場長の尾高惇忠が苦労した話は有名です。「工女になると生き血を飲まれる」(西洋人が飲んでいた赤ワインを生き血と誤解した)などの根拠のないうわさを打ち消すため、尾高惇忠は自分の娘のゆうを工女にしています。長く続いた鎖国が解かれてわずかのことですから、今まで日本では見たこともない「異人さん」を怖がる意識は強かったようです。

当時の大蔵省は「伝習工女雇入心得」なる募集要項を北海道や東北地方の県に示しました。
・15歳から30歳まで、15人は各地ごとに確保すること
・寄宿舎は3人1部屋、夜具その他貸し渡し。5部屋につき小間女1人。毎日入浴可。
・一等工女年給25両、二等工女18両、三等工女12両(なんと能力給です!)
・日曜休み、夏季・年末年始各10日の休暇 ・・・など、かなりの好条件といえます。
操業開始後の1873(明治6)年の1月時点の工女の人数は404人(群馬県228人、埼玉県98人、宮城県15人、山形県14人、静岡県18人 長野県11人 その他20人)でした。
その後も、やはり群馬県内の工女の雇用数は多く、住み込みでなく、通いの工女も採用していきました。
こうして集められた士族の娘たちを含む多くの女性たちは、製糸技術を身に着けやがて教婦(製糸技術指導員)として、場内指導や他県の製糸工場にも派遣され、その技術は伝播していきました。
中央に立つ女性の赤い襷(たすき)と下駄の高さは一等工女のしるしでした。
資料:富岡製絲工場女勉強之圖 富岡製絲場全縮圖(岡谷蚕糸博物館所蔵

〇 工女の生活
製糸場内には医師・看護師が常駐し、工女たちには余暇を利用して教育も施されていました。寄宿舎では、掃除や日常生活の指導なども行っていたようです。その考え方の基本は、「善い人が良い糸をつくり、信用される人が信用される糸を作る。」(グンゼ創業者 波多野鶴吉)にも、つながっています。
制服もありましたが、一方では、自らの現金収入で、流行の着物や化粧品などを買っておしゃれを楽しむ工女もいて、出入りの呉服商などへの払いも多かったといいます。

〇 時代は移り変わり・・
ここまで読んで、工女ってこんなにホワイトな職業だったの?…と思われるかもしれません。私も今までの工女のイメージは、映画「あゝ野麦峠」の、いわゆる工女哀史そのものでした。(山本茂実が1968年に発表したノンフィクション文学「ある製糸工女哀史」:岐阜県から長野県の工場へ働きに出た農家の娘たちがモデルです。)
確かにその後、富岡製糸場も民間に払い下げられ、生産性向上を目指し明治30年代には、年給制から出来高払い、休日は月3日、12時間勤務と労働条件は厳しくなっていきます。大正から昭和にはより厳しく、さらに戦時中には、外貨獲得のため生糸輸出は「女子挺身隊」として、勤労動員の工場勤務などに変わっていきました。このように過酷になっていくのは、当時の日本の社会全体がたどる道筋と同様です。
 
今回のシンポジウムで話を聞いて、建物を見学すると、明治当初の産業の黎明期を支えた製糸場の工女たちの息づかいを感じました。結髪所で髪を結いあげ、支払いに追われるくらいおしゃれも楽しんで、教婦に注意されるほど女子トークしていた工女たちの青春を垣間見た気がしました。

参考:しるくるとみおか 富岡市観光ホームページ/世界遺産富岡製糸場
写真提供:富岡市

=プロフィール=
プラン行政書士事務所  代表行政書士  中西浩子
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